タイトルのとおりです。
人間誰しも、「みんなから好かれたい」「他人に嫌われたくない」と思うものです。
(まあ、「好きでもないやつから好かれても……」みたいな感情もありますが、それはそれ)
他人から嫌われるというのは、人生の危機、太古には己の生命にも関わることでした。
太古の人間は集団生活が普通で、みんなで協力して木の実を集めたり集団で狩りをしていたと言われていますね。そして、みんなで集めた食べ物をみんなで分け合う。
そんな環境で誰かに嫌われて、それが集団の中で権力を持っている存在だったりしたら村八分にされるわけです。
そういった本能的な恐怖が遺伝子レベルで刻まれてるのかもしれないですね。
そして、それは現代でも充分脅威となります。
学校でのいじめ、職場での冷遇……。集団で生活するとどうしても他人に嫌われた瞬間に自分のライフプランにかかわる大問題になるわけです。
でも、他人に嫌われたくないからって八方美人になったり、他人からの要求の言いなりになったりすると気疲れしたりしますよね。しんどい。
でも、根本的な問題として、「みんなに好かれる」って無理なんですよ。
だって、「人類全員に好かれる」なんて、神様でも達成できてないじゃないですか。
もし神様が人類全員に好かれてたら、今頃宗教は世界にひとつだけに集約されてるはずなんですよ。その矛盾を隠すために「他宗教の神は実は悪魔だ」みたいな解釈したりしてるみたいですけど、どのみちその宗教の神様が他の宗教の人間に好かれてないのは事実なので。
突然ですけど、私の推しの話していいですか?蘭陵王(高長恭)って言うんですけど。
中国の武将なんですけど、色んな意味で乱れていた北斉という国の中で、品行方正、戦績優秀、部下思いで、おまけに絶世のイケメンという、非の打ち所がない人間だったらしいんですが。
そんな人間でも、当時の皇帝に嫌われてしまって、処刑を恐れた蘭陵王は自分の戦利品を貪ったり、あえて当時の汚い北斉に自分も染まろうとしたり(結果的に部下に諌められて「じゃあどうしたらいいんですか!うわーん!」って泣いちゃったりしちゃうんですが。可愛いですね。)するんですが、最終的に皇帝から毒杯を賜り死亡します。
何が言いたいかというと、どんなに完璧な人間でも結局他人から嫌われるんで、諦めましょう。
「でも人に嫌われていじめられたくないんですけど!?」と思いますよね。
大事なのは、自分を嫌う人間の顔色を伺うことではなく、味方を増やしておくことだと思っています。
まず、自分を嫌っている人間からはなるべく距離を取る。物理的な距離が取れるならそうしたほうがベストでしょう。物理的には無理なら精神的な距離を取る。
「精神的な距離を取る」って何かというと、たとえばわざわざ近づいてきて嫌味を言ってくるような人間の話をハイハイと受け流すみたいな感じですね。右から左に受け流し、心の壁を作る。いちいち傷つかないようにする技術を身につける。
あとは、実力行使に出てこられたら記録や証拠をしっかり取る。物を壊されたり落書きされたりしたら写真を撮るとか、いじめられた内容を日記に書いたりして記録を取る。記録は証拠にもなります。日常的に悪口を言われているなら録音できると更に良し。SNSとかメッセージアプリなら悪口の内容ややり取りをスクショして撮っておく。
そして、味方を増やしておく。
早めに教師や親、上司や身の回りの人間に相談しておく。対応はしてくれなくても、相談したという事実は残ります。精神的に辛いならメンタルクリニックに行って医師に相談するついでに証拠として診断書をもらうといいでしょう。学生さんなら保健室、社会人なら企業の中にある医務室とかでもいいんじゃないかな。とにかく味方をできるだけ増やして、自分を嫌っている人に対抗する手段を身につける。
あまりに酷いようなら、最終手段として法的手段も考えたほうがいいと思いますが、お金かかるので本当に最終手段ですね。「法的手段に訴える」と相手にちらつかせるだけでも牽制にはなるでしょう。
後半、なぜかいじめ対策の話になっちゃったな。まあ参考までに。
結論をまとめると、「人類全員に好かれるのは無理、嫌われたらそいつは諦めろ」ですね。人間、自分は変えられるけど他人は変えられないものです。自分を嫌ってる人間は本人が改めない限り、こちらから更正はほぼ不可能です。
私の推しの場合は、嫌われてる相手が国の最高権力者だったのでなんかもうどうしようもなかったんでしょうけど。国外逃亡とかするような性格でもなかったんだろうし。